Air Time

【About Me】
■HN

しんしん shinshin

■Constellation Sagittarius
■Blood Rh + O
■Address 仙台
■Policy 無駄な無駄無し。
■Like■ Basketball・Boxing・hiphopdance
Mr.Children・EXILE・安室奈美恵
NBA・NCAA・PRIDE・UFC
LEGACY GT-B
Pleage・N.Hollywood
■Dislike 攻撃的
傍若無人
一方通行
裏切り
■Character 平和主義+我侭+気分屋

自分は2005年、大きな決断を下しました。

今まで、ごく身近な人、そしてネットの限られた人にしか、

話していなかった事があります...。

今までの自分への反省と自己研鑽をする為。

これから先の自分の未来の為、

自分が抱えている問題を開示して。

皆さんと交流し、考え、成長して行きたいと思っています。

完治を目指して。

そして少しでも症状が改善する事を、心から願って。


-パニック障害について-

それまでは、勉強・運動・仕事そして遊び、
何をとっても不自由なく思い切り活動出来ていました。
こんな事になるまでは...。
ある日を境に、何事にも保守的、消極的にならざるを得なくなりました。
「いつまた発作が起きるのか。」
発作の事を考えると、
その事に使うエネルギーだけでヘトヘトになってしまい、
前向きに考えることが、出来なくなっていました。
誰にも相談できませんでした。 偏見を持たれてしまいそうで。
自分の病気を隠す事。知られない事。
それにもエネルギーを費やして暮らしてきました。
数少ない信頼できる人に相談しても、
「気の持ちようだろ。」「お前が甘いからだ。」何て言われてしまって。
このページに辿り着いた方々、自分と一緒に考えていきましょう。


パニック障害は、
脳内の末梢神経から海馬まで達するセロトニンという物質の濃度が
先天的に不足している人に起こり得る症状で、
決して精神力の強弱によるものではありません。


私こと「しんしん」(32歳)は、現在パニック障害で、
月に2度、心療内科に通院しています。
パニック発作が最初に起こってから8年になります。
この病気のために、一時は、家から一歩も外に出ることができないどころか、
風呂やトイレにさえも入ることができず、
また、誰かが家に一緒にいてくれなければ不安で仕方のない状態でした。
このどん底の状態にいるとき、毎日死ぬことばかりを考えていました。
しかし、今では、その最悪の状態から復活し、
処方された薬は飲んではいるものの、その量も減っている状況です。
電車、新幹線、飛行機に乗ることは、未だに出来ていません。
美容室・歯医者にはようやく行けている状況です。
運動は今は普通にやっています。
パニック障害の人なら、この気持ちわかりますよね。
私は現在、この自分自身に突きつけられた事実を受け止めつつ、
自分に出来る範囲で前向きに過ごしています。


パニック障害患者は全国に数十万人いると言われています。
いつ誰がなっても不思議ではありません。
ただ、不運にもパニック障害になってしまった人に言いたいことがあります。
自分が鬱だと感じたら、とりあえず、回復するまで何も考えずに安静にしていて下さい。
少しでも何かに取り組む気になった人は、
できる範囲で一歩一歩できないことに挑戦してください。

これから先は、パニック障害の説明、私の体験談、
それを通して社会に対して私が感じたこと等を詳細に語っていきます。
あくまで一患者の立場からであることをご了承ください。



次のすべての項目に該当するときは、パニック障害の疑いがあるので、
診察を受けることをすすめます。

1.明らかな理由がないのに、突然強い不安発作(パニック)に襲われる。
2.そのとき、以下のうち4項目以上の症状があり、10分以内にピークに達する
 ●心臓がドキドキする
 ●汗をかく
 ●身体や手足の震え
 ●呼吸が早くなる、息苦しい
 ●息が詰まる
 ●胸の痛み、または不快感
 ●吐き気、腹部腫満感
 ●ひどいめまい、頭が軽くなる、頭の中が騒がしく感じる
 ●非現実感、自分が自分でない感じ
 ●常軌を逸する、狂うという心配
 ●死ぬのではないかと恐れる
 ●しびれやうずき感
 ●寒気、またはほてり
3.上記の1,2の条件を満たす発作(
パニック発作)が今までに2回以上あった
4.発作が起きた後、また起こるのではないかという不安(
予期不安)が1か月以上続いている
5.心臓、その他の体の病気が原因ではない

パニック障害は、単に気のせいで起こるものではなく、医学的にはっきりした病気です。
適切な治療により改善していきます。現に私もその一人です。



パニック発作が起こるまで(〜H10.1月)
始まりは、平成10年1月7日。最初の就職ガイダンスを翌日に控えた、吹雪の日でした。
それまでの自分は、風邪一つ引かない病気とは無縁の人だったのですが...。
新年会を終えアパートに向かう途中、激しい吐き気が有り、乗り合いのタクシーから下車。
吹雪の中を、2km程歩いて帰りました。
体の冷えがひどかったものの、疲れもありそのままベッドに倒れこみ眠りにつきました。
眠り始めて、30分から40分程たった時でしょうか。
急に息苦しくなり「呼吸が出来ない!」と飛び起きました。
当時付き合っていた彼女にタクシーを呼んで貰い、夜中に仙台市立病院の急患へ。
「過喚起症候群」との診断をされ、ペーパーバッグを渡されました。
病院で2時間ほど休み、アパートに戻りました。


パニック障害だと診断されるまで(H10.4月〜H10.7月)
1月の発作以来、身体の違和感はありながらも、生来の病院嫌いが出て、
医者に掛かる事もなく、そして就職活動の忙しさに追われ3ヶ月を過ごしていました。
そして迎えた4月18日。
H8年に亡くなった親友の3回忌のお参りに、実家に帰郷するバスの中で、
急にひどいめまいに襲われ、バスに乗っていられなくなりました。 
歩いて駅に着き、電車に乗り換え。
座ったり、立ったりを繰り返し。 命からがら実家に着きました。
そして翌日から、訳の分からない発作が、頻繁に起こるようになりました。
その度に頭が真っ白になり、「あっ、このままどうにかなってしまう」と思いました。
パニック障害は同時に閉所恐怖を併発します。

一番怖かったのが、その日に実家から仙台市内までの道を、
車で走ったときの出来事です。
2車線の高架橋に入った途端、急にパニック発作がやってきました。
この区間は1分くらいなのですが。車が込む場所でもあり、全く逃げ場がありません。
その瞬間「自分は死ぬんだ。」と本気で思いました。

その3日後、実家のベッドから全く立ち上がることが出来なくなりました。
両親や兄、そして叔父や叔母に車に乗せて貰い。
仙台市立病院、仙台厚生病院、広南病院、東北大付属病院...etc
名前をあげたら、きりがない位、様々な病院で検査をしました。

3ヶ月掛かって下された、医師の診断は
パニックディスオーダー(パニック障害)と言う、聞きなれない病名でした。
そしてこの日からが、自分とこの病気の、長い戦いの始まりでもありました。

実家の近くに、出来たばかりの内科が有り、そこで薬を出して貰える事になりました。
凄く理解のある先生で、自分の症状を長い時間聞いて下さって。理解して頂いて。
暗闇に、一筋の光が見えた気がして、
安心して1人部屋で泣いてしまった記憶が、今でも鮮明に残っています。
しかし、容態は徐々に悪くなる一方でした。
電話をかけたり、1対1で人と話すことすら不安感をもつようになりました。
大好きなバスケも出来ず、友達たちと出歩く事もままならず...。

友達や両親に、「前向きに頑張ろう」と明るく声をかけられても、
それに応えることのできない自分を情けなく感じ、自分を責めました。
大きな病院でカウンセリングを受けても、
「どうしてだろう?他に何か精神的葛藤が自分の中にあるんじゃないのかな?」
と言われるばかりで、自分でもどうしていいかわかりませんでした。
心ない人が、私に対して
「家で寝てばっかりいれていいね。」
などと言うのに対して、返す言葉がありませんでした。


パニック障害と診断されてから。そしてピークへ。(H10.8月〜H12.7月)
パニック障害は、パニック発作だけでなく、
その予期不安、さらには、広場恐怖、2次的うつ病を併発します。
まさに平成12年7月がその状態のピークでした。

薬のお陰もあって、無事に卒業、就職をして。
薬を飲みさえすれば、7割方、病気以前の生活を送れる様にまで順調に回復していって。
しかし、就職して2年目の、丁度8月でした。
きっかけは何だったのか、未だに自分でも分からなくて。
その間に、仙台から離れたり、
社会人生活が始まってのストレスが溜まっていたのかもしれません。
日記を読み返すと、2000年7月13日に、ぐちゃぐちゃの字で、こう記されていました。

「全身に力が入らない。立ち上がれない。  俺、終わった...。」

不安で実家から一歩も外に出られないどころか、
風呂やトイレにも入れない、ヒゲをそることもできないほど悪化していました。
病院にも怖くて行く事が出来ず。食べ物も口に入らなくなり、
67キロだった体重が、60キロにまで落ち込みました。
「重症筋無力症」との診断(後に違うことが判明)
2ヶ月の入院生活に入りました。

その年の9月末に、実家に帰る事は出来たのですが、
2次的うつ病が併発していたので、外部との接触を一切絶って、家にいました。
パニック障害だけであれば、どんどん外に出て、
様々な状況にチャレンジしなければならないのですが、
うつ病がからんでくると、とにかく家にいてじっと静養するのがまず第一だそうです。
家の電話線を抜く、携帯の電源を切る、居留守を使う。
プライベートでは、徹底して治療に専念しました。


社会生活への復帰。そして現在。(H12.12月〜現在)
H12年12月、様々なカウンセリング、行動療法を行って、
山形のアパートに戻ることが出来ました。
最初は実家の周りを5分ほど散歩する事から始めましたが、
スポーツクラブでの軽い運動が出来てから、
運動は、一気に出来るようになり。
6年経過した今は、ダンス・バスケ・ボクシングが出来る位になっています。

あとは、様々な状況にチャレンジするのみ。
近場の宿で、一泊出来る事が出来ました。
風呂から見えた星空を、くつろいで見る事が出来ました。
車に乗ることができました。
パニック障害の人は車の渋滞やトンネルに弱いといわれているので、
渋滞の多い道路やトンネルをたくさん走り、克服しました。
次に映画館とデパートの人ごみ、
これも事前に薬を飲んでからではありますが、克服できました。

素晴らしい出会いも有りました。
ネットで仲良くなれた人達が、山形まで遊びに来てくれたり。
「ちゃれんこ」と言う、子供達の表現遊びサークルにスタッフとして参加する事も出来て。
パニック障害持ちの自分が、人前で踊る事が出来ています。

最後の関門は、電車に乗ること、
各駅停車には乗ることができるのですが、どうしてもダメです。
あと、遠出をすることも。
旅行大好きであった自分には、これも大きな問題です。

自分のパニック発作は、最悪の状態からは50%回復したと思っています。
(何しろ最悪のときは、今こうして生きていること自体が奇跡でしたから)
毎日の発作に嫌になる事も、未だにありますが、
残り50%は、完治を目指して、上手に付き合っていくつもりです。



2006年1月に大きな出来事が有り、
暖かく見守っていただいた方、親や親族には本当に迷惑を掛けました。
返しきれないくらいの恩も頂きました。
今、目指している事を達成して。
そして、この病気を克服して。
一つずつでも、恩を返していきたいと思っております。

心の大きな曇り空が、青空になる日を信じて...。

   by しんしん



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